イギリスで語学留学中です。当blogはリンクフリーです。by Kana


by brioso-brioso
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もうすぐお盆ですね。

Oxfordのはなさんの記事を読んで、私も思うことがあったので、書いとこうかな。

私は大学2年の冬に突然母を亡くしました。成人式を終え、後期の設計課題を提出した日でした。母方の祖母は年末から具合が悪かったけど、母についてはそんなこと、夢にも思っていなかったので、父からの電話で「とにかくすぐに帰って来い」と言われ、てっきり祖母が亡くなったんだと思い込み、すでに最終が出ていたので夜行の特急で帰ることにしました。

突然の出費、ATMも開いていなかったので友達に電話したらタダ事ではないことを察知してくれて手渡しされたばかりのバイト代を全額貸してくれました。(ありがとー!!)

特急の中、夜行にも関わらず本当に一睡もできなかった。すごく長い長い夜でした。

博多駅に着いたのが早朝。そこからまた特急に乗り換え。思ったよりも寒く、始発を待つ間にホットの缶コーヒーを2つ、カイロ代わりに持っていました。

駅に着くと父が改札まで迎えに来てくれていました。迎えはいつも母でした。だから帰省日はいつも母の仕事が休みの日に合わせていました。でもなぜかこのとき父が来たことには不信感がありませんでした。「きっとお母さんはいろいろ忙しいんだ」と信じていました。
車には父方の叔母が。よく考えると「なぜ父方の?」と思うけど、このときはすんなり受け入れていました。

実家に戻ると父方の親戚がたくさん。もともと母方の親戚は少ないのですが、ここら辺で違和感を感じました。
「なんで父方ばっか?なんでおばあちゃん家やないでうちにいるの?」

少しして父に呼ばれ、真実が伝えられました。みんながここにいるのは、亡くなったのが母だから。祖母は数日前にすでに亡くなっていました。試験中の私に気を使って、母が連絡しないようにしてたらしいです。

泣いたけど、不思議とすぐにやみました。呆然としてただけ。よくわからなかったです。

それからいろんな人がウチにやってきて、父をなぐさめていました。ちょっとうらやましかった。いっぱい友達が来てくれて、うらやましいなと。

そこからはお通夜の準備です。あっと言う間に我が家は葬儀の場となりました。

お通夜や告別式や火葬場のことは覚えてるけど、その間やあとのことはよく覚えていません。どうやって今のような平穏な生活に移行したのか、よくわかりません。

こんなことになるんなら、試験なんてどうでもいいから祖母が亡くなったときに呼んで欲しかった。そうすればこんなことにはならなかったはずなのに。   何度もそう思いました。でも、これは最後の母の優しさなんだと思うことにしています。それと引き換えのように母は亡くなってしまったけど。

思い出すことがあります。母の死亡推定時刻とされている時間の頃、私は一人暮らしの部屋に一人でいました。なぜかその頃、無性に暴れたくなって、クッションなんかを振り回して投げていました。涙が自然と流れてきて。きっとあれは、母が最後に苦しんで、私を呼んでいたのではないかと思います。そんなの信じないかもしれないけど、私はそう思います。誰にも話さなかったけど、やっぱりなんか、大切なことのようなことがして、ここに残すことにしました。

今でも母が恋しくなって、無性に泣きたくなるときがあります。取り乱すように泣きます。ガマンしても仕方ないから。泣いても仕方ないように。
泣いても仕方ないけど、仕方ないからこそ泣くのかもしれません。

お盆に亡くなった人が帰ってくるとか、昔はあんまり考えたこととかなかったけど、もし帰ってきてくれるなら、ホントに話がしたいなと思います。いろんな話がしたい。いろんなことが聞きたい。いろんなことを聞いて欲しい。

母しか知らないことがたくさんあります。私の友達の名前。仲良かった子のこと。私が好きな曲、歌手、作家、場所。私が大事にしているコト、モノ、思い出・・・。

母との思い出はたくさん。でも、もっと増えるはずでした。二人で旅行とか行ってみたかった。もし自分が結婚するときは、彼を見定めて欲しかった。お父さんよりも先に紹介したかった。子育ての先生になって欲しかった。そして、私が子供の頃の話をもっといっぱい聞きたかった。もっといろんなこと教わりたかった。

母はやっぱり母でした。一生懸命に私を育て、愛し、尊重してくれました。やりたいことはなんでもさせてくれたし、応援してくれた。中・高の6年間、冷食にいっぱいお世話になったけどお弁当作ってくれたし、寝坊したら都市高使って学校まで送ってくれたこともあったし。オケに熱中して成績下がっても笑ってくれたし、本番直前は夜の練習の日は迎えに来てくれたし。オケの演奏会、絶対聞きに来てくれて、帰ったら「よかったよ」っていつも言ってくれたし。私が入院したとき、仕事ずっと休んでくれたし、「何もできんくってごめんね、気付かんやった」って泣きながら言ってくれたし。

この記事を書きながら母のこととか思い出してると、また涙が出てきてしまいました。母は笑ってると思います。「なん泣きよん?」って。「あんたのせいよ!」と返しておきます。

母を亡くして、いろんな人に支えられてるなと思ったし、今も思ってるし、ホントにかわいがって心配してくれてる人もいるんだけど、やっぱり一番は母だと思います。そばにいない今でも、一番は母だと思うわけです。

母、偉大。

そう、母はいつまでも偉大なのです。だから、ずっと大好きで、いつまでも大切。

やっぱ、母、偉大!
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by brioso-brioso | 2005-08-05 23:32 | in Japan